
John Deere 社のエンジニアは、LMS のマルチボディシミュレーション技術を広範囲に活用し、農地および路上でのトラクター運転者の乗り心地を劇的に改善する電子制御式油圧サスペンションを新たに開発しました。これまで運転台のサスペンションシステムには、鉛直方向の振動をわずかしか吸収できない高い固有周波数を持ったコイルバネやエアクッションが使用されてきました。

物理プロトタイプが組み立てられ試験が実施された結果、シミュレーションとの非常に高い相関性が確認され、運転者の乗り心地が劇的に改善され
たことが証明されました。
「マルチボディシミュレーションを使用することにより、新しいサスペンションの性能を向上させることができただけでなく、試作前に性能を正確に予測することにより、製品化までの時間を大幅に短縮することができました。」 と、ドイツのMannheimにあるJohn Deere社の設計解析グループのリーダーであるDr. Bernd Thomasは述べています。
農業用車両においても、快適な乗り心地はますます重要となってきています。過度な振動は運転者にとって不快であり、作業に費やすことのできる時間も短縮します。10 年ほど前までは、ほぼすべてのトラクターが座席のサスペンションしか備えておらず、振動対策はその大型タイヤに頼り切っていたのが実情でした。この方法では減衰比が非常に低く、通常0.02 しかないということが問題でした。その結果、近年、主要なトラクターメーカーのほとんどが、運転者の快適性を改善するとともに、路上と農地の両方でより高速走行を可能にすることで実質的経済効果の大きいサスペンションシステムを開発するようになりました。
John Deere 社のアプローチは、シャシーに3 箇所で結合する「トリプルリンクサスペンション」と呼ばれる前車軸サスペンションの開発でした。パネルロッドリンク(パナールロッド)が、サスペンションとシャシーの間で横方向の力を伝達します。また、サスペンション部品として窒素アキュムレータを用いた油圧シリンダが2 番目のリンクを形成します。さらに、トラクター中央部にある球面ジョイントが3 番目のリンクとなっています。
「このサスペンションは乗り心地を効果的に改善します。また、前輪の接地性も向上するので、ステアリング力の伝達性能も改善されます」と、John Deere 社のThomas 博士は話しています。
試作実験に先んじた設計の評価
このサスペンションを設計するに当たって、John Deere 社のエンジニアは、複雑すぎてハンドブックによる手計算ではその性能を予測できないことに気づきました。しかも、主要な設計案ごとに試作実験を繰り返していては、検討できる設計案の数は非常に限られてしまいます。そこでJohn Deer 社は、物理的な試作をせずにサスペンション設計の性能を予測できる商用ソフトウェアパッケージを探しました。
「トリプルリンクサスペンションの設計プロセスの早い段階で我々はLMS DADS を選択しました。なぜなら、
LMS DADS は解析結果の質と計算スピードの両面で他の候補よりも勝っていたためです」とThomas 博士は語っています。
「LMS 社の技術者たちは早い段階から我々と緊密に協力し、現在我々がサスペンションの解析に理想的であると思うレベルまでプログラムを改良してくれました。例えば、マクファーソンストラット、短長アーム、ピボットビームなどの、サスペンション専用のモデリング要素を追加してくれました。LMS DADS はトリプルリンクサスペンションの設計において重要な役割を果たしました。試作費を負担することなく概念設計の性能評価を非常に精度良く行うことができ、与えられた期間内でとても有効な設計に到達することができました。
我々は、最初の試作品の仕様を決定する前に、固有周波数と減衰を変更して数多くのいろいろなケースを試しました。最終的にサスペンションを組み立てて試験したところ、結果は我々の期待に完全に応えるものでした。その結果、我々はLMS DADS のワールドワイドライセンスの購入を決定しました。LMS DADS は、当社の製品開発業務において重要な役割を担う基本ツールの1 つとなっています。」
設計仕様の開発

つい最近、John Deere 社の経営陣は、独自の運転台サスペンションシステムを開発することによって、乗り心地をさらに改善することを決定しました。これまで、ほとんどの運転台サスペンションシステムにはコイルバネが使用されており、その固有振動数は1.6Hz を超えていました。その結果、2.3Hz の範囲では振動は抑えられるどころか増幅されていました。これは通常の運転条件における最も顕著な周波数です。もう1 つの検討項目は、運転席シートの固有振動数も同じ範囲にあって、運転台とシートの間で共振が発生する可能性があることです。
John Deere 社のエンジニアはこの状況を改善するため、運転台サスペンションを取り付けたトラクターのシミュレーションモデルを作成し、一連のマルチボディシミュレーションを実施しました。これらのシミュレーションから、運転台サスペンションシステムの固有振動数の約数よりも高い周波数成分からなる励振に対してのみ、このサスペンションは運転台を守ることができる、という理論的には当たり前の事実が確認されました。その結果、John Deere 社のエンジニアは、サスペンションの理想的な固有振動数として1Hz を目標値に定めました。
これらの識見により、設計プロセスの残りの部分で何をすべきかが明らかになり、以前のように性能試験場で性能パラメータを模索するよりもはるかに少ない時間とコストで最適な設計に到達することができました。
運転台の後部に防振装置を取り付けることが計画されましたが、1Hz という仕様を満たすには、運転台の最大
積載時と最小積載時の間で60mm の静的バネたわみ量だけ余裕を見ておく必要がありました。このような柔ら
かいサスペンションでは、さまざまな荷重条件の下で十分なストロークを確保するために、水平を維持するための負荷分散システムも必要でした。この機能は通常のコイルバネでは実現できないため、油圧- 空気圧式システムを使用することが決定されました。そして、マルチボディシミュレーションを用いて、システムの固有振動数を1Hz に調整するための適切な窒素ガスの量と初期圧力値が選定されました。
さまざまな設計案の乗り心地を予測この時点で最初のプロトタイプが組み立てられ、その実験の結果、既存の運転台サスペンションシステムより
も大幅に乗り心地が改善されたことが確認されました。その後の設計検討においては、乗り心地を比較するためにISO 2631-1 に規定されている人間の快適性に関する周波数依存の評価方法が用いられました。この規定には、実効値(RMS 値)とべき振動被曝量(power vibration dose)という2 つの測定基準が示されています。以降の設計評価には、主にシート位置における周波数重み付けされた加速度のRMS 値を用いることにしました。この測定値は、路上と農地の条件下で実施したLMS DADS のシミュレーションから簡単に得られます。John Deere 社のエンジニアは、さまざまな設計パラメータとパーツを評価しながら設計を進め、最終的に運転者の乗り心地に与える影響の定量化に成功しました。
上の図は、運転台サスペンションがある場合とない場合のDeere 社製トラクターの乗り心地を比較した結果で
す。運転者にとって、前車軸サスペンションと運転台サスペンションを備え、時速50km で走行するトラクター
の方が、前車軸サスペンションのみを備え、時速20kmで走行するトラクターよりも快適であることは、この図
から明らかです。時速50km のときの方が、乗り心地は約31% 向上しています。運転者にとって仕事場への行き来が作業時間のかなりの部分を占めるため、生産性の大幅な向上が見込めることに疑いの余地はありません。運転台サスペンションシステムの効果は、シート位置における鉛直方向の加速度のパワースペクトル密度曲線(次の図)を比較するともっと明白になります。この図から、運転台サスペンションを備えていないトラクターの運転者は、2.3Hz 付近の周波数レンジで高いレベルの振動にさらされることが分かります。このレンジよりもはるかに低い固有振動数を持った運転台サスペンションシステムはこの振動を完全に断ち切ることができます。油圧-空気圧式の低周波サスペンションが、すばらしい解決策となったことは明白です。
疲労解析のためのコンポーネント荷重の予測
設計プロセスにおけるマルチボディシミュレーションの利用は、これまでよりも早い段階から疲労耐久性を検
討できるという、もう1 つの利点をもたらしました。試作後に部品の耐久性を評価するために用いられていた試
験コースの条件を再現するように、シミュレーション走行が準備されました。試験コースと同じ高さと形状の障害物を盛り込むことによって、シミュレーションから実際のコンポーネント荷重を生成できます。そしてこの荷重は、部品の疲労耐久性に関して最終確認のために実施される有限要素解析への入力となります。
Deere 社のエンジニアはまた、数値計算ソフトのMATLAB とシステムモデリング用ソフトのSimulink をLMS DADS と組み合わせて使用し、サスペンションの制御系を評価しています。これらには、快適性評価のためのフィルター設計、前車軸サスペンションと運転台サスペンションの油圧制御、負荷分散のための自動化システム、駆動伝達系のモデル化、ドライバーの簡易モデル化などがあります。
この新しい運転台サスペンションシステムは、最近、Deere 社製6020 シリーズトラクターの6320 以上のモ
デル用に、既存のTLS II 型前車軸サスペンションと共にオプションとして発売されました。この新開発の電子制
御式油圧サスペンションは、最大100mm のストロークをサポートするアクティブ制御の自動水平維持システム
を備え、農地および路上の両方で運転者の乗り心地を大幅に改善しています。「お陰で我社の製品開発チームは設計の早期段階で各設計パラメータの重要性を評価できるようになり、試作に先んじてさまざまな設計パラメータを最適化できるようになりました。このすばらしい改革の実現にマルチボディシミュレーションが中心的な役割を果たしたのです」と、Thomas 博士は締めくくっています。